手芸部員の日常

こんばんは。手芸部の職人という名前で三度目の記事を書いています。今回は手芸部員の日常です。東京国立博物館平成館にて今月23日まで開催中の「人間国宝展-生み出された美、伝えゆくわざ-」のことをほんの少しですが書こうかと思います。親しい友人がよく美術展に誘ってくれるのですが、今回もまたその友人と行きました。手芸の話からは少し逸れてしまいますが、ものづくりという点においてはここに書いても問題ないかと思いますので。
 

「生活の中で用いられる器や衣服、道具に美を求める工芸。日本では古くから、陶芸・染織・漆芸・金工・木竹工・人形などの工芸が発達し、その芸術性は今日においても高く評価されています。『人間国宝』(重要無形文化財の保持者)は、現代にも続く伝統の『わざ』の継承者であると同時に、日本が誇る工芸の発展に尽くし、日本工芸史に残る作品を生み出してきた功労者といえるでしょう。この展覧会では、国宝・重要文化財など歴史的に評価されてきた古典的な工芸と、現代の人間国宝の作品を一堂に集め、日本が誇る工芸の『わざ』の美をご覧いただきます。」
(『人間国宝展』ホームページhttp://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1625
150近い作品が展示されていましたが、多くの作品が驚くような細やかさで丁寧に作られていました。

まず、第一章の「古典への畏敬と挑戦」では古典作品それに対応するように人間国宝の作品が並べられて展示されていたのですが、その中でも特に喜多川平郎の「上代有紋羅(蘇芳小菱羅)」の作品が印象的でした。少し離れたところから見ているとただ透けているだけの布に見えましたが、近付くと本当に繊細にかつ正確に菱の模様が織られていました。古典作品は奈良時代(8世紀)の「唐花文夾夾纈羅幡残次」ですが、喜多川平郎はこの羅の技術の復元をされ人間国宝になられたそうです。一度は消えてしまった技術を蘇らせるということは、全く新しいものをつくることとは別の制約、困難を伴うことだと想像されます。

一方、それまでの技術を土台にさらにそこに独自のものを入れていくような作品も数多く見られました。本展では鳥をモチーフにした友禅が数点展示されていたのですが、その中でも田畑喜八(三代)の「一越縮緬地鳳凰桐文振袖」は大胆な柄で、古典作品の「振袖 白縮緬地衝立鷹模様」(江戸時代・18世紀)の細かな刺繍に対し、こちらが現代的な化学染料を用いたところには伝統にこだわり過ぎず新しいものを取り入れていく強さのようなものを感じました。また、第三章「広がる伝統の可能性」の、生野祥雲齋の竹花器「怒涛」などは、竹という伝統的な素材でありながらデザインが非常に現代的で、思わず「これ欲しいね」なんて友人に話してしまいました。
(ただ、実は工芸品の展覧会というだけあって、あちこちで「あ、これ良いな」という作品に出合う瞬間がありました。もちろん人間国宝の作品なんて手に入るものではありませんが、これを使ってみたい、そう思わせるものが工芸品としては非常に重要なことなのではないかと思います。)

一つ一つの作業を丁寧に行い、工芸品を生み出す。そこには奈良時代にも遡るような長い伝統がありました。人間国宝のような方々の多くはそこに新しい風を吹き込み、自らのオリジナリティを表現しているように思われます。ただ、私個人としては展覧会の初めのほうで出会った美しい羅の菱模様が強く記憶に残りました。伝統を絶えさせないように守っていくことの重要性を、毎日の生活の中でたまに忘れてしまうような気がしています。次々と新しいものが生まれて、古いものは忘れ去られてしまう、それではちょっと悲しいように思います。

もちろん人間国宝に選ばれた職人の優れた作品とちっぽけな自分の作品を比べようなんて思いもよりませんが、ひとつひとつの基本を丁寧に抑えていく伝統の職人技の数々を見て、やはりまずは古典、基本から少しずつ自分のできることを積み重ねていきたいと、そんなことを考えていました。

そんな、手芸部員の日常。

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